どうも、実は私、大の心霊好きでブログも書いていると言う事で、ちょっとした恐怖体験や不思議な話しを紹介していこうと思います。
鎌倉の外れの漁師町
私は神奈川県は鎌倉市の出身で、その中でも湘南・江ノ島に程近い腰越(こしごえ)と言う所で生まれ育ちました。
夏などは海水浴客で賑わい、正月も沢山の人が江ノ島に初詣に来たりする、いわゆる観光地の類ですね。
そういった所で育ち、少年時代には近くの港で魚釣りに興じたり、また江ノ電の路面電車が通過する様な場所が私の生活の中心でした。まぁ鎌倉市とは言っても一番端っこの、言わば漁師町ですよね。
そんな、地元にまつわるお話し。
鎌倉幕府
話しは遡ること、鎌倉時代の頃。かの源頼朝公と源義経公の兄弟が歴史を創っていた時代。
大願であった平家滅亡を成し遂げた後、兄である頼朝に面会を断られた弟の義経がその想いを認めた書状が有名な腰越状であり、書いた場所が腰越の万福寺と言うお寺ですね。
昔から腰越と言う土地は、鎌倉への西側からの入り口とされていたのですが、その当時はまだ今の様に道路も何も整備されてはおらず、獣道の様な山道を進まなくてはならないところが多かった訳なんですよね。
特に腰越から内陸部を通って鎌倉の中心地(鶴岡八幡宮等がある地域で当時は幕府があった)に行くには、大なり小なりの峠を越えなくてはならなかった訳なんです。
人か鬼か
そして、子供連れの夫婦などが商売やら何やらで向かう道中……出たらしいんですよね、山賊が。
少しでも身なりが良さそうな通行人を見つけようものなら、山賊は一斉に刀を抜いて襲いかかってくる。
抵抗する術もない普通の旅人などは、もう逃げるの一択しかない訳なんですよね。
昼間でも薄暗い山道を、ただひたすら逃げる。捕まったら、正に身ぐるみはがされる様な状況を、何とか逃げ延びて…。
這う這うの体で逃げ延びたは良いが、足の遅い子供が犠牲になってしまうケースと言うのが、やはり割合として多かったらしいんです。
その当時はその様な出来事がざらにあったそうで、そのうちに峠を越えるのに子供が死んで越える、子死越(こしごえ)という言われ方、書き方が広まってしまったらしいんですよね…。
しかし、当然響きの良いものではない事もあり、廃藩置県の折に現在の腰越になったと言う言い伝えがありますね。
単なる当て字の様にも聞こえますが、自分が生まれ育った場所のそう言った話を聞いて、一瞬ゾクッとしたのを今でも覚えています。
日本全国の津々浦々、自分の住んでいる地域や昔からの建造物などを歴史的に紐解くと、意外と怖い話しって……あるものなんですよね。
ワンポイントアドバイス
地元の怖い話を探す場合は、図書館で風土記を読むか近所のオバアさんに話を聞く事。
怪談に関連する記事はこちら。実体験怪談シリーズ テナント募集中
歴史の中に、人の行いあり。
コメント